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活きイワシ餌の釣り [釣りの話(過去)]

勝山での活きたシコイワシをエサにした子ムツ釣りの話を書きました。活きたシコイワシと言えば、昔はポピュラーなエサだったかなぁ。今は高いし、安定的に取れないようで確保が大変だからねぇ。

例えば、九里浜のクロムツでも通常はサバタンと冷凍イワシがですが、活きイワシ(もちろん宿が用意)があるときは今で言う特エサ的に使っていました。クロムツはガツガツと激しいアタリをだします。

これも少年時代ですが、葉山のYT丸(すでに廃業)とそこから別れたYS丸にけっこう行ってました。YS丸は今はタコ乗合、その他の時期は通常コマセダイがメインですね。当時は行ってたのはアジ、サバ、ワカシ、イナダ、カツオなんかの青物系でした。当時は普通に活きイワシを積んでいってましたよ。ワカシ、イナダを胴突き2本針のイワシエサでアタリダナをさぐって釣るのは面白かったねぇ。ある日の釣れない時に探索して反応で入れたらでっかい金メバル(クロメバル)が釣れたり、またある時は沖でカツオの模様があると無線が入ればすっ飛んでいったりしました。今は乗合船の対象魚が決まっていてそれしか狙わないことが多いけど、昔は一応本命があってもけっこうその時釣れるお土産を釣って帰ってもらおうという意識があったように思います。だから活きイワシがいらないコマセのアジサバでも保険でイワシ積んでたのかな?ビシ釣りしてるのを横目に竿で活きイワシ餌であそんでたりしました。けっこう大きいのが釣れちゃうんだよね。YS丸の社長ですけど、ある日の釣果がでない時でしたけど、沖の瀬まで走ってサビキで沖メバルをゾロゾロと釣らせてくれたり。

カツオ釣りも昔は当たり前のように活きイワシを使った一本釣りとフカセ釣りで、相模湾全域で一斉にやってましたよ。あとはイワシメバルですね。ここ数年は不調のようですけどね。

活きイワシの釣りは基本的にタナとか底をとればエサの泳ぎにまかせで静の待ちの釣りなんだけど、エサに魚が襲い掛かると静から動に一気に変わるのと食わせ込む部分のドキドキが楽しいのかな。たぶんそう、そうだったんでしょう。最近はニョロニョロのエサしか使ってないので忘れたなぁ。(笑)活きたイワシはお魚さんのご馳走なんでしょうね。千葉県側の漁師は活きイワシでタチウオを釣るけど、釣り船は禁止ってことからしても平均的に良い漁獲がある証明ですよね。今年はLTアジの情報を見てると東京湾内はシコイワシが釣れないですね。相模湾のカツオ乗合をだす船もエサの確保が大変なようですね。

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九里浜のムツ釣りの話(昔の話しですよ) [釣りの話(過去)]

ムツと言えば、九里浜の「しんべ丸」でしょう。あくまで私的にですからね。

「しんべ丸」はサンスポに所属していた船宿です。すでに榎本一男船長(前々任ぐらいか?サンスポ船宿会の会長もされていました)がお亡くなりになり廃業されました。小学生高学年~高校生までに一番行っていた船宿です。父のお伴で行くわけですから、すなわち父はこの船宿でのムツ釣りをベースにしていたってことです。当時の九里浜といえば1年中ムツ釣りをほとんどの宿でやっていたというか、九里浜の看板釣り物だったんです。「M6」という船宿もあるぐらいですもんね。

秋、冬、春がクロムツで夏場がアカムツのサイクルで1年中でした。仕掛けは年中同じで、胴突3本針が標準でした。クロムツを狙う場所は神奈川県側は九里浜から剣崎にかけて、千葉県側は勝山~富浦あたりまでので水深は浅いほうで80m~深いほうで200m前後までで、中型クラスまで対象の釣りでした。25~35cmがメインサイズで、深いほうでは4、50cmサイズもたまにって感じだったかな。クロムツは岩礁帯まわりに回遊性があるので潮の澄み濁りで動いたりするので、魚探である程度は群れを探すようでした。アカムツは浅いほうは観音崎の60mぐらいから、九里浜~剣崎にかけて100m前後~深い所は240mなんてのも経験したなぁ。もちろんリールは手巻き巻き巻きです。アカムツのサイズは25~40cm、30cm前後が主体って感じでしたね。オモリは今じゃ考えられないけど、当時のテトロン系のラインで100m前後は60~80号でやってましたよ。「しんべ丸」で100号を使ったことあったかな?200m前後で使ったかも。それがいまではどこの宿も、粘りに粘って細々とひっぱた宿でももうムツ釣りででていませんよね。たぶん。まったくとは言えないでしょうけど釣れなくなったから、乗合で毎日釣るに相当に厳しいからでしょう。クロムツはよく九里浜前のビシアジ船とならんで釣ったこともあるので、今でもクロムツがそれなりにいるならビシアジ船でけっこう混じっても不思議じゃないでしょうけど現実はねぇ。

今、東京湾で夏場にアカムツをやっていますけど昔から釣ってるし、その海域でも別に復活したとかいうようなことでもないでしょう。細々とやればなんとか資源維持ぐらいということでしょう。時代も魚の多さも違うから仕方ない部分もあるかもしれないけど、ちょっと考えさせられる部分はありかなぁ。当時の観音崎の60mは小さめ主体になるから、他で釣れない時の保険みたいなもんでそんな時にチョロっとやって終わりぐらいの攻め方だったように思います。それでも大きな金魚みたいのは釣れなかったです。これ以上書くと危ないことを書いちゃいそうなのでこのへんで自粛します。そうだ、観音崎60mで初めてイシモチという魚を釣りました。

当時どのぐらい釣れたかというと、週休2日なんて時代じゃない週末の混合う日曜日の乗合船で、竿頭の釣果としてクロムツは良い時は30尾前後、赤ムツは15尾前後かな?何回か竿頭になった事もありましたよ。たいていミヨシのスペシャルシートで修行(英才教育って言うんでしょこういうのを)させられてましたから。させられたというよりは望んでかな?(笑)私が同行するちょっと数年前には父とそのお仲間はクロムツを5,60尾なんてことも特に珍しくなかったみたいですよ。シロギス釣りに比べたらよっぽどやさしい釣りです。胴突き仕掛けを絡ませずに落として、底立ちとって、クロならタナ切って少しタナを探りつつ待つ。赤は基本オモリトントンぐらいの待ちの釣りですからね。底立ちを取り直すことと、たまに2,30m巻きあげて巻き落としするとかやることやってればね。今は電動リールがあるからエサの点検だって楽じゃん、今は絶対数が少ないとこにもってきて旨いとくりゃぁねぇ。また危なくなっちゃうので自粛2です。

話は戻りますが、榎本一男船長にはその当時は大変お世話になりました。船室が無い船でしたから、シケれば気づかってくれて操舵室に入れてくれましたから濡れずにすみましたし、中学ぐらいまでは無料乗船(時効でしょ、笑)、父が払うと言っても女将さんも頑として受け取りませんでしたからね。おおらかな良い時代ですね。この釣りに子供は珍しいしからねぇ。そんなこともあってか、後継者がいなかったこともあってか、半分冗談半分本気か?「そんなに釣りが好きなら、高校でたら家に来て漁師にならないか?」って言われてましたもん。(爆)今は立派なシロギスの一本釣り漁師になりましたとさ。(チャンチャン)

ムツ釣りのあとはハナダイ釣りを開拓したようですね。初期はサクラエビを餌にしてたんじゃないかな。その後はウイリー、ウイリーの元祖群の船宿になりました。

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少年時代のお盆の思い出はやっぱり釣りです。 [釣りの話(過去)]

お盆と言えば、勝山かなぁ?

というのは、小学生~中学生ぐらいまでの夏休の家族旅行(兼、父と息子は釣りです。笑)で内房の勝山へ頻繁に行ったのです。これはシロギス釣りではない釣りの思い出話しです。

夜、ナイター中継を聞きながら東京を車で出発して夜中に勝山に到着します。漁師さんが経営する民宿で民宿名は覚えてないけど船は確か清澄丸(6、7人乗りの小型船)だったと思います。父は深場系の釣りをしていたので、ここは大ムツ(クロ系)とアカムツ釣りの常宿だったのです。そこの船頭さん(故人)はその港でムツ釣らせたら1番と言われる漁師だったそうですよ。クロ系は2~5kgぐらい、アカは1~2kgアップまで、本船航路付近で水深はいずれも300m前後の場所で釣ります。

夜中に到着してちょっと寝て4時には朝まずめのオカズ釣りに出発です。浮島周り水深20m前後でサビキ(空針も)か、シコイワシをエサにした食わせ釣りです。サビキではアジ、サバ、カマス、イサキ、タカベなんかが釣れました。食わせのターゲットは小ムツです。エサがいつも大きくて15cmほどのイワシに20~30cm弱のクロムツがガツガツと食ってきます。簡単に釣れたなぁ。信じられない人がいるかもしれませんが、35年前後も昔の実話ですからね。7時前にはあがって宿で朝食です。

朝食を済ませたらまた港へもどり出港です。夏ですからアカムツ釣りにいくわけです。道具的には漁師さんの使う手巻きのドラムみたいなのを使って、15本ぐらいの針に鉄筋オモリってな感じのヘビータックルです。私は通常見学のみで、たまに巻き巻き程度でしたけどね。40cm前後の型が中心でデカイのは50cmアップで2kgを超えます。そんなのがあたれば何匹かで上がってきます。良い日にはふた桁釣果、船頭と合わせて20~25尾なんてことも。中学生ぐらいになってから一度、竿にリール(もちろん手巻き)で入れてみた事もあるけどその時は釣れませんでした。道具のバランスが違うから船頭の狙ってる山に入らないんでしょうね。この日は道具でもあんまり釣れなかったかな?

そういえば、父はお仲間と手巻きのドラムみたいなのを作って自分用の物を持っていましたから相当な凝り性だよね。(笑)ちなみに父は今年11月で76歳になりますけど健康ではないですね。いろいろ大病を抱えて50歳前後で早々に釣りは引退せざるを得なかったのです。父の分を私がバリバリと?ちょっと小物に転向しましたが(笑)

通常の狙いは大ムツは秋~冬がメイン~春、アカは夏なので、当時の大ムツ釣りには同行してなくて、獲物はお家で見てました。でも、お盆じゃないけど、冬場にヤリイカ釣りにも行ったなぁ。当然手巻きだし、プラ角なんてなくて竹にガス糸を巻いた角でした。

そうだ、港とか周辺の浜で投げ釣りでシロギスが釣れてましたね。横目で見てたけど当時の私はあまりシロギスに興味がなかったようです。(笑)

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お盆休み [釣りの話(過去)]

今週後半からお盆休みに入る人が多いでしょうね。私は12~18日まで休みを取りました。13日は人間ドック入りなので前日はゆっくり休養しておとなしくしてよう。間違って釣りに行かないようにします。(笑)14日は未定、15日が金沢漁港の盛大な大会です。16日は未定、17,18日は伊東の温泉につかってきます。「伊東へ行くならハトヤ♪」ではなく「ホテルニュー岡部♪」です。昨年の漁港の大会の賞品でございます。

お盆といえば、札幌に住んでいた10年間は毎年お盆休みとして1週間ほど帰省していました。親に孫の顔を見せるという表向きの真っ当な理由もありますが、最も重要な裏の理由は東京湾でキス釣りをすることです。それしかないでしょうなぁ。(笑)札幌じゃキス釣りはできないですから。ちょうど浅場が終盤か終了している時期なので、7月までの情報では束釣りがチラホラでていたのが、下旬から8月になると7、80尾前後で頭打になるか、釣り場が変わるころです。年によって多少は違いますが、そんな時期の帰省釣行を振返ってピックアップしてみました。下降線で自然な流れの釣果を何故かこの時期に上向きにして盛り上げてたかな?(笑)

平成3年:8月23日は八景から中の瀬で153尾の爆釣でした。2番手がその当時の大常連、週間つりニュースAPCのAさんで束チョイでした。Aさんとはこれが初同船でミヨシで背中合わせ、3×3vs2×2(わかる人はわかるでしょ)の戦いでした。戦いじゃないか。(笑)前週の釣果だって皆さん束なんて想定外でKY釣果、そんなに釣れてましたか?釣れるはずないでしょぐらい言われる数でしたね。東京湾は歓迎してくれました。

平成4年:そうだ、次女が7月26日に生まれた年で帰省しなかったです。

平成5年:8月16日(葛西橋、101尾)、8月19日(葛西橋、109尾)、8月20日(八景、117尾)、+8ずつ上積みでした。場所は3回とも富津沖で5~12m、その日その日で水深を変えて探してました。

平成6年:8月13日(八景、100尾)、8月15日(八景、135尾)、8月20日(八景、115尾)でした。場所は13日の午前中だけ小柴3号地で型抜群、平均20cm以上23cmメインで25cmまでが40尾と面白かったよ。昼前から食わなくなって中の瀬に数合わせに行った。小柴は釣りきちゃったか?あとの2日は中の瀬でした。

平成7、8年:不調の年で釣れなかったですねぇ。西から真ん中から東まであちこちをクルージングしながらの拾い釣りで、20尾台~40尾超えるのがやっとでした。こんな年も実際にあるんですから、みなさん御用心を。(笑)夏場でこんな年の落ちギス期は想像できますか?今がいかに良い時代か噛み締めてください。(爆)

平成9年:前2年から回復傾向でした。8月12日(八景、83尾、富津沖)、8月23日(八景、93尾、中の瀬)でした。

平成10年:前年並みぐらいかな?8月12日(八景、81尾、大貫沖)、8月23日(八景、107尾、中の瀬)でした。

平成11年:きちゃったよ~爆釣の年が。8月12日(八景、208尾、大貫沖)、8月13日(八景、147尾、大貫沖)、8月15日(八景197尾、大貫沖)でした。3日で552尾、激変といっていいぐらい魚がいました。

平成12年:爆釣年は続きました。8月7日(八景、151尾、中の瀬)、8月9日(八景、224尾、第2海堡)、8月12日(八景、129尾、第2海堡)、8月15日(八景、140尾、中の瀬)でした。

あちこちに書いてると思いますが、平成11年から今年まで東京湾のキスは大きな不調は全くなく推移しているのです。

平成13年4月からは本土復帰してます。

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シロギス釣りは面白い(その4) [釣りの話(過去)]

金沢八景・荒川屋(22歳~現在進行中)

金沢八景・荒川屋は昔から1年中シロギス乗合を出し続け、東京湾のシロギス釣りをリードしている船宿だと思って見ていた。ベテラン、名人級が数多く集う船宿で、曜日毎に何曜日は誰々さんが竿頭というパターンで毎週通う名人たちがいた。もちろん釣果も東京湾で安定してトップクラスであった。

当時は東京の船宿は季節ごとに釣物が変わっていき、シロギスは春~初秋までで冬場の落ちギスは出ていなかった。落ちギスをやるなら八景まで行くしか選択肢がないし、腕試しもしてみたいという気もあって最初はポチポチと行き始め、昭和から平成に変わる前後からけっこう頻繁に行くようになった。このころには、大体自分のシロギス釣りが確立されていたように思っていたが、八景の名人達からも学ぶものもまだたくさんあった。振り返れば26,7歳当時の私より今はもっともっと進化してますよ。釣れる数はその時代の魚の多い少ないである程度決まってしまう部分があるけど、それでも今の自分なら26,7歳当時の釣果の2、3割アップぐらいいけそうな気がする。

当時のシロギス船は実船長(貞光船長の弟さん)でした。落ちギス50尾も釣れば好釣果という釣れ具合でしたから最近しか知らない人はそんなに釣れなかったのって感じでしょうか?春先とかにシロギスを求めて下浦へも行ったこともあるし、落ちギスでも今じゃまったくやらない観音崎沖はけっこう定番でもありました。

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シロギス釣りは面白い(その3) [釣りの話(過去)]

葛西橋・荒川屋釣船店(25歳~現在進行中)

葛西橋・荒川屋釣船店に最初に行くきっかけは夜メバルをやってみたくて、何かの大会の検量で集合したときに、船清の三男のひろし船長から葛西橋の泰司船長に紹介してもらったのがきっかけだった。25歳のときだったと思う。最初はポチポチと夜メバルだけに行っていた。その2、3年後にひろし船長が病気で倒れ船清が釣船から撤退して本格的に屋形船に転進していくことになり、東京でのシロギス船としても葛西橋へ行くようになった。それ以来、とくに夏場の千葉県側浅場に行くためにずっと通っている。

シロギス船に乗り始めたときの葛西橋の名人は佐々木さん(故人)、この人のシロギス釣りは印象的だった。竿は2本使うが天秤で1本針、糸つきの流線針を25~30cm程度で結ぶだけ。両手に竿を持って投げても船下でもとにかく動かし続ける。シンプルイズベストと誘って攻めまくる釣りを学ばせていただいた。釣果はほとんど勝ってはいたが大差まではつかず、青年と大ベテランですから若さの部分で勝っていただけかもしれないと今振り返れば思います。出会って数年後に亡くなられた時に、泰司船長に「また名人が一人いなくなちゃったよ。これからはShirogisuさんに頑張ってもらわないと困るな。」と言われ、その気になってさらにのめり込んでいった部分もあるなぁ。

私の数の記録はこの船宿でどんどんと更新されていった。夏場6,7月の最盛期は浅場で数がでるので盤洲~木更津~富津方面にここからでているためでもあるが、小物は数釣ってなんぼの世界だということで船長達とも意見が一致するし今後も通い続けます。

そうそう、ひろし船長は今は元気で船清の専務と聞きました。その息子さんのあつし船長が3,4年間、葛西橋で修行してた時期があって2束釣らせてもらったこともあったなぁ。

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シロギス釣りは面白い(その2)  [釣りの話(過去)]

品川・船清の時代(20~27歳)

シロギス釣りへ年間を通じてある程度の回数行くようになったのは二十歳を過ぎてからだった。父親の釣り会が利用していた品川・船清に通いだした。今でこそ屋形船のパイオニアとしてすっかり大手となりいろんなメディアで超有名ですがれっきとした釣りの船宿でした。先代と息子3兄弟で船は4,5隻保有していました。年間の釣物サイクルは4~9月初旬がシロギス、その後はハゼ、小アジ(サビキ)、イシモチなどが組み込まれて、ケタハゼは年明けまで、年末からカレイが入ってまた春からシロギスでした。

シロギスは中の瀬か木更津から始まり、最盛期は盤洲から富津、大貫にも行ってました。下浦にも遠征したことがありましたよ。当時は最盛期の浅場でも7,80ぐらいの釣果、シーズン中10回ぐらい束釣りさえ大釣りがでたと注目された時代でした。この時代、大貫で130尾ぐらいが私の最高でした。

もちろん、そんな時代ですから私が束釣り(ここに1つめの圧倒的に高い壁があった)できるようになったのは、3シーズン目だったと思います。船清にも当然のように常連さんが多数いましたから、週末の4隅はご近所の常連さんで埋まります。早く行ってごくたまに空いているミヨシを確保できれば良しで、たいていトモでもミヨシでも2,3番目の釣座ってことが多かったです。これは結果としては常連さんの技を学ぶのにたいへん役立ったのです。職人さんの世界は見て盗む(笑)、とくに教えてもらうということはなかったですが、そこそこ2,3番手ぐらいの釣果は最初からだしていたので船長と常連さんに顔を覚えてもらって修行が続きました。

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シロギス釣りは面白い(その1) [釣りの話(過去)]

 船のシロギス釣りに初チャレンジしたのは高校1年のときだった。もともと父親に連れられて船釣りは小学生から経験していたが、父親はどちらかというと中大物系の釣りをしていたので、釣り入門の時期にやっていてもおかしくないシロギス釣りは後回しになったのだった。それも父親の入っていた釣り会の例会で数釣りの競技だった。結果としてはそこそこ上位に食い込み、そして小物系にはいろんな釣技があって奥が深そうなところをかいま見た。以来約30年が経過したがその奥深さにどっぷりと嵌まり、飽きることなく週末は可能な限り東京湾でシロギス釣りが続いている。そう、私にとってシロギス釣りは面白いのである。そして、まだまだ奥はありそうなのだ。

 このブログでは船のシロギス釣りについて、過去の釣果もちろんホットな釣果を中心にそこそこ詳しく(いやかなりかも)情報公開的に書いていきます。でも、書ききれない部分もありますけど悪しからず。

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